HIVの真の発見者は誰?





HIVは、1983年、フランスのパスツール研究所のリュック・モンタニエとフランソワーズ・バレシヌシらによって、AIDS患者のリンパ節から発見され、LAV(Lymphadenopathy-associated virus)と命名されました。

また、1984年、アメリカ国立衛生研究所(NIH)のロバート・ギャロらもHIVを発見し、HTLV-III(Human T-lymphotropic virus type III)と命名しました。

続いてカリフォルニア大学サンフランシスコ校のレヴィらもHIVを発見し、ARV(AIDS-associated retrovirus)と命名しました。

更に、1985年にモンタニエらが別のAIDSの原因ウイルスの分離に成功し、LAV-2(Lymphadenopathy-associated virus-2)と命名しました。

LAV、HTLV-IIIおよびARVは、後にいずれも同じウイルスである事が明らかとなりHIV-1と改称され、LAV-2はHIV-2と改称され現在に至っています。

その後、HIVの最初の発見者は、誰かという論争は長く続き、モンタニエとギャロの仏米の研究チームが長年にわたって激しく対立しました。


それでは真のHIVの発見者は誰なのでしょうか??


この発見の争いは、特許紛争に発展したため、87年、当時のレーガン米大統領とシラク仏首相の間で、「米仏両者の貢献と権利は同等」ということで一度は政治決着がなされ、88年には日本国際賞(予防医学分野)がモンタニエとギャロ両博士に贈られました。

しかし、両者のHIVの遺伝子はそっくりであることと、米チームがHTLV-IIIの発見前に、仏チームからLAVの試料が提供されており、「流用ではないか」という疑惑が持ち上がりました。

その上、89年、米紙が「第1発見者はモンタニエ博士」と調査報道し、論争が再燃することになりました。

その結果、91年にギャロ博士は英科学誌ネイチャーで「自分たちが発見したと思っていたのはフランスのウイルスが混入したもの」と敗北を認めるに至りました。

それでも米国は、AIDSの原因と特定した功績があると主張しましたが、カロリンスカ医科大(スエーデンのストックホルムにあり、ノーベル賞の生理学・医学賞の選考委員会が設置されている)は、発表資料で、ギャロ博士らが見つけたのは「LAVと著しく似ている」とし、HIV発見は、仏チーム単独の業績と判断しました。

長くHIVの第一発見者の論争の背景には、HIV検査キットやAIDS治療薬の特許がからみ、フランスと米国の思惑もあり、長く対立しましたが、最終的には、両国による政治決着が着けられるに至っています。

1994年には、両者がともがHIVの第一発見者であるとして決着しましたが、長期の対立はAIDS治療薬の特許が絡むもので、治療薬の発売を遅らせないための政治的決着であったとされています。

このようなスキャンダルを嫌う、ノーベル賞は、長らくHIV発見に対するノーベル賞受賞を見送ってきましたが、2008年10月6日、フランスのモンタニエとバレシヌシの二人がHIVの発見者として2008年のノーベル生理学・医学賞を授与しました。

結局ロバート・ギャロは、最初の発見者とは認められず、HIVの第一発見者は、モンタニエとバレシヌシの二人と認められました。


HIV発見者を描いた切手
20世紀シリーズ切手
HIVの発見者のリュック・モンタニエ
2000年 ブータン発行
ノーベル賞受賞切手
HIVの発見者のフランソワーズ・バレシヌシ
2009年 コモロ発行





written by 血液の鉄人



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