近  代-6-








エミール・アドルフ・フォン・ベーリング(1854〜1917)


ベーリングと北里柴三郎(l852〜 1931)は、破傷風やジフテリアの毒素を動物に連続的に注射し、採取した動物の血清中に抗毒素が含まれることを、「ドイツ医学週報」に『動 物におけるジフテリアおよび破傷風免疫の成立』と題して初めて報告した。

ベーリングと北里はジフテリア外毒素を動物に免疫して抗毒素を作り出すことに初めて成功した。

この抗毒素で病気を治療する“血清療法"すなわち“受動免疫"は人類を伝染病から救う大きな役害」を演じることになる。

1891年のクリスマスの夜、ジフテリアで苦しむ子供に人類初のジフテリア抗毒素が注射された。この瞬間、子供たちをあれほど苦しめて来たジフテリアを克服することになる。

1890年12月4日、ドイツ医学週報第49号に「動物におけるジフテリア免疫と破傷風免疫の成立について」を北里柴三郎との共著として発表する。

しかしベーリングは第50号において北里との共著ではなく、自身の名前のみでジフテリアについてデータを発表した。

ベーリングは、1901年 「ジフテリアに対する血清療法の研究」で第一回ノーベル生理学・医学賞を受賞することになる。

受賞に際し、自分だけの功績ではなく、共同研究者の北里柴三郎あっての結果であることを述べたとされる。

北里がノーベル賞受賞できなかったのは、ジフテリアについてのデータを単独名の論文で発表したこと、ノーベル賞委員会や選考に当たったカロリンスカ研究所が血清療法のアイディアはベーリングの創出で北里は実験事実を提供しただけと誤った認識をしていたことと、ノーベル賞創設後最初の選考では共同授賞の考え方がまだなかったことが要因として挙げられている。 現在での選考基準に当てはめれば、当然ノーベル賞は北里も受賞していることになります。

ベーリングと北里の創始した“血清療法"はその後、免疫した動物の血清より製造された免疫血清製剤を特異的治療製剤として使用する基礎を築くことになる。

・ベーリングは、1904年にベーリングベルケ社を設立します。

現在ではベーリングベルケ社は、社名をCSLベーリング株式会社として生物学的製剤を専門とするグローバル企業とし活動しています。







ベーリングを描いた切手


エールリッヒとベーリング生誕100年記念切手
ベーリング(右)とエールリッヒの横顔(左)
1954年 西ドイツ発行
ベーリング記念切手
ベーリングの肖像
1940年 ドイツ発行
WHO創立25年記念切手
ベーリングの肖像
1973年 グレナダ発行
ノーベル賞受賞切手
ベーリングの肖像
2001年 グレナダ発行








ベーリングを描いた切手


医学者切手
ベーリングと北里柴三郎
1991年 トランスカイ発行
ノーベル賞受賞者記念切手
ベーリングの肖像と予防接種の光景
1977年 モーリタニア発行
エールリッヒベーリング生誕150年記念切手切手
ベーリングの肖像(下)と
<抗毒素(下段右)/I>
2004年 ドイツ発行
ノーベル賞制定75年記念切手
ベーリングの肖像(左端)
1976年 ウルグアイ発行




ベーリングを描いた切手


医学の発見6種連刷切手
ベーリングの肖像(右下段)
2008年 ギニア・ビサウ発行
ノーベル賞100年小型シート
ノーベル賞100年小型シート、ベーリーングの肖像とともにノーベル生理学・医学賞のメダル
1995年 ドミニカ連邦発行





written by 血液の鉄人



近  代-6-医学の発展に貢献した人々目次医学切手の部屋

inserted by FC2 system