イグナッツ・フィリップ・ゼンメルワイス(1818〜1865)
ハンガリー出身の医師で、1847年「産褥熱は接触感染の病気であり、医療従事者に手の消毒を義務づけることでその発症率を激減させることができる」 ことを証明した人物です。
19世紀、ヨーロッパの産科では産褥熱が蔓延し、産婦の30〜50%が自分の子供の成長を見ること無く死亡していました。
彼は、この悲惨な光景に心を痛め、産褥熱の原因究明に全精力を傾け、爪の短切と洗浄、手指の念入りなブラッシングと塩素水による消毒により産褥熱 を防止することが出来ることを証明しました。
しかし、当時の医学界は彼の消毒法を全く認めず、完全に黙殺し、彼を狂人扱いしました。
彼は手術の際に傷つけた指の傷口からの感染による敗血症で悲惨な最期を遂げますが、最後まで彼の提唱した消毒法は認められず、彼の死後20年にして 初めて受け入れられることになります。
彼の提唱した消毒法は産科領域のみならず今日の医療全般の安全を守る偉大な発見です。
彼は、消毒法及び院内感染予防のさきがけとされ、「院内感染予防の父」と称されています
ゼンメルワイスを描いた切手
ゼンメルワイス死去100年記念切手 ゼンメルワイスの肖像 1965年 オースシリア発行 |
医学者切手 ゼンメルワイスの肖像と 子供をあやす母親 1987年 ハンガリー発行 |
WHO創立25年記念切手 ゼンメルワイスの肖像 1973年 グレナダ発行 |
ゼンメルワイスを描いた切手
ゼンメルワイス生誕150年記念切手 ゼンメルワイスの肖像 1968年 東ドイツ発行 |
医学者切手 ゼンメルワイスの肖像と 塩素水で手を洗う彼 1992年 トランスカイ発行 |
母子養護募金切手 ゼンメルワイスの肖像と 産褥熱患者とその体温表 1956年 西ドイツ発行 |
ゼンメルワイスを描いた切手
国際婦人デー記念切手 ゼンメルワイスの肖像 1960年 ハンガリー発行 |
科学者切手 ゼンメルワイスの肖像と 産婦の横で新生児を抱き上げる彼と 分娩時の消毒に使用した洗面器 1954年 ハンガリー発行 |
ゼンメルワイス死去100年記念切手 ゼンメルワイスの肖像 1965年 ハンガリー発行 |
ルドルフ・ルートヴィヒ・カール・ウイルヒョウ(1821〜1902)
ドイツ人の医師、病理学者、先史学者、生物学者、政治家で病気の座を細胞におき、病気は正常細胞が病的刺激によって起こるという「細胞病理学」を確立し、『細胞病理学の父』と呼ばれています。
また、ウイルヒョウは1845年に、血液が白くなる病気は血液中の赤血球と白血球の数が逆転しているために、血液中に膿を含んだように見えると考え、「White Blood(白い血液)」と命名しました。
すなわちこれが白血病です。
「White Blood(白い血液)」は1847年にギリシア語に翻訳されて「Leukemia(白血病)」と命名されます。
ウイルヒョウは、白血病を『脾臓の肥大が特徴的』な"脾性白血病"と、『リンパ節の腫れが特徴的』な"リンパ性白血病"の二種類に分類することも提唱しています。
更にウイルヒョウは、腫瘍は局所の原因によって発生するものと提唱しましたが、この説は外科療法の根拠となることになります。
これを証明したのは1915年、弟子にあたる日本人の山極勝三郎です。
ウイルヒョウは、「白血球増多症」・「血栓症」・「肉腫」などの現在でも頻用される用語を命名しています。
偉大な業績を上げたウイルヒョウですが、イグナーツ・ゼンメルワイスの提唱した消毒法に真っ先に反対した人物でもあります。
当時最大の病理学者であるウィルヒョウの反対は影響力が大きく、ゼンメルワイスの消毒法は当時の医学界からそっぽを向かれ、 ゼンメルワイスの学説が受け入れられないまま、悲惨な死を遂げる要因を作った人物でもあります。
ウイルヒョウを描いた切手
通常切手 ウイルヒョウの肖像 1948年 東ドイツ発行 |
ウイルヒョウを描いた切手
偉人切手 ウイルヒョウの肖像 1953年 ベルリン米英仏占領地区発行 |
ベルリン・シャリテ病院創立250年記念切手 ウイルヒョウの肖像 1960年 東ドイツ発行 |
ウイルヒョウを描いた切手
ウイルヒョウ生誕150年記念切手 ウイルヒョウの肖像 1971年 東ドイツ発行 |
医学者切手 ウイルヒョウの肖像と 骨格 1989年 ハンガリー発行 |
written by 血液の鉄人
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